会社概要
COMPANY
昭和21年4月(1946年) | 広田政治が共立製作所として創業 |
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昭和27年4月(1952年) | 農業用発動機部品および二輪自動車プレス部品を受注生産 |
昭和30年6月(1955年) | 法人組織に変更し、現本社住所の大阪市西淀川区御幣島に資本金20万円の「株式会社広田金属製作所」を創立 |
昭和37年6月(1962年) | 新明和工業(株)広島工場の新設にともない、当社も関係車両部品の生産のため広島県安芸郡海田町に広島工場を新設 |
昭和40年6月(1965年) | 社名を「広田工業株式会社」とする |
昭和43年9月(1968年) | 神奈川県相模原市に東京工場(旧東京フェンダー)を新設 |
昭和46年6月(1971年) | トラックおよび特装車用部品受注拡大のため、京都府亀岡市に亀岡工場を新設 |
昭和48年11月(1793年) | 資本金2,000万円に増資 |
平成元年10月(1989年) | 能瀬和徳 社長に就任。広田政治 会長に就任 |
平成2年6月(1990年) | 大阪工場にてステンレス製工具箱の生産を開始 |
平成2年12月(1990年) | 亀岡工場に溶接工場を増設しロボット溶接機を導入 |
平成7年9月(1995年) | 亀岡工場にNCターレットパンチ、80tブレーキ導入。 板金関係製品の受注拡大を図る |
平成8年6月(1996年) | 東京工場にコマツ200T(4m)ブレーキを導入し、生産の効率化を図る |
平成11年10月(1999年) | 亀岡工場にアマダ製2Kwレーザー加工機を導入。 板金分野受注拡充を図る |
平成13年8月(2001年) | 東京工場にアマダ製FO式3Kwレーザー加工機を導入。受注拡大を図る |
平成15年2月(2003年) | 故 広田政治会長の社葬を行う |
平成16年2月(2004年) | 東京工場にアマダ製α式2Kwレーザー加工機を導入。長尺物加工に対応 |
平成17年11月(2005年) | 亀岡工場にアマダ製220Tブレーキ(4m)を導入。長尺物加工に対応 |
平成20年2月(2008年) | 亀岡工場に三菱製パレットチェンジャー付き4Kwレーザー加工機を導入。 |
平成24年6月(2012年) | 群馬県太田市に北関東工場を設置し、トラック、ダンプ各部品の生産を開始する |
平成24年7月(2012年) | 東京工場にアマダ製パレットチェンジャー付きFOMⅡ4Kwレーザー加工機を導入 |
平成24年12月(2012年) | 広島工場にアマダ製タレットパンチプレスおよび150Tブレーキを導入 |
平成25年1月(2013年) | 海田工場から広島工場へ生産を全面的に移管する |
平成26年4月(2014年) | 広田和敏 社長に就任。 能瀬和徳 会長に就任。 |
平成26年7月(2014年) | 東京工場受注拡大対応のため、アマダ製パレットチェンジャー付きFOMⅡ3015・4kWレーザー加工機を導入する |
平成26年9月(2014年) | 広島工場にアマダ製FO2412NT4kWレーザー加工機を導入し受注拡大を図る |
平成27年3月(2015年) | 創立60周年記念行事を行う(長島温泉 ホテル花水木) |
令和元年11月(2019年) | 亀岡工場にエステーリンク製バリ取り機導入 |
令和元年12月(2019年) | 亀岡工場に三菱製パレットチェンジャー付き4Kwファイバーレーザー加工機を導入 |
令和2年7月(2020年) | 橋本信喜 社長に就任。 広田和敏 副会長に就任。 |
令和3年3月(2021年) | 大阪工場に向洋技研製マイスポット導入 |
令和3年5月(2021年) | 広島工場にアマダ製170Tブレーキ(4m)を導入 |
令和4年7月(2022年) | 会長 能瀬和徳が引退 |
令和4年12月(2022年) | 広島工場に三菱製パレットチェンジャー付き6Kwファイバーレーザー加工機を導入 |